代償を求めない

他人を応援するという行為は、スピリチュアルの世界で推奨されます。

というのも、応援のために発したエネルギーが自分に返ってくることから、幸福な余生を期待することができるからです。

もちろん応援する時の気持ちもエネルギーのあり方に影響します。

代償を求めて応援する場合、利己的な動機であることから、エネルギーは返ってきません。素直な気持ちから応援できる時、初めてポジティブなエネルギーが生成するのです。

何らかの邪な気持ちが入ってしまえば、表面的には応援していても、幸福を感じることはできないでしょう。

応援する時に大切なのは、代償を求めないことばかりではありません。

自分が一人前であることも必要とされます。「一人前」というのは、単に成人していることを意味するわけではなく、「自立」していることを指します。依存心の強い人間は利他的な動機から応援するわけではなく、自分のために応援してしまうのです。

この「自立」はそう簡単な事ではありませんが、人を応援するということは、それだけエネルギーを要するものなのです。

自立していない人間としてよく挙げられるのは、ニートや引きこもりの人達です。確かに彼らは経済的に保護者に頼っており、自立しているとは言えません。スピリチュアル的にも、一人前の人間と見做すことはできません。もちろんそれぞれに特異な事情を抱えているでしょうから、他人が断定するのは烏滸がましいのですが、大抵の場合、親が子に、子が親に依存している状況であるのが実情です。

注意したいのは、単なる依存と支え合う関係とは、似て非なるものだということです。また、経済的に自立していても、精神的に誰かに頼りっぱなしの人もいますし、逆に主婦のように自分で稼いでいなくても、自立心の強い人もいます。

自分がどのタイプに当て嵌まるのかをよく考えてみましょう。

自立と覚悟

自立した人間とはよく言いますが、中々定義するのが難しい概念です。

要は覚悟の問題であると考えられます。

どのような状況下においても、自分は覚悟を決めて仕事に従事し、生活費を稼ぐのだという意思です。その意志さえ持っていれば、現在何らかの事情で収入を得ていなくても、立派に自立した人間であると言えます。

自立した人間同士は、ポジティブなエネルギーを通い合わせることが出来ます。自分が応援したり、逆に応援されたりすることで、仕事やプライベートで良い循環が生まれます。さて自立した人間に出会えれば良いのですが、場合によってはいい加減な人とも出会うことになるのが世の常です。

しかしスピリチュアルの世界では、出会いそのものを大切にしています。

どのような人に出会っても、その出会いに意義を感じることが大切なのです。つまり無駄な出会いというものは存在しません。

多くの人は苦手な人と出会ったことを後悔するでしょう。

そのこと自体は自然な感情なのですが、同時にそれが必然であったと捉える覚悟が求められるのです。

人生の中で出会える人の人数は限られています。つまり彼らは選ばれた人たちであり、そこには何らかの意味があると考えるのが自然です。

スピリチュアルに限定せずとも、このような考え方は仏教にも通じています。釈迦が残した概念に、「対面同席五百生」というものがあります。

これは、「偶然同席した相手は、過去生で何度も会っていると考えよ」という意味です。

同席する人と言えば、真っ先に思い浮かべるのが家族です。家族については説明するまでも無いでしょう。

家族の次に思いつくのは同僚のはずですが、彼らはどうでしょうか。

人によっては家族よりも付き合いの深い同僚も存在するでしょう。

仕事が人生の大部分を占めることを考えると、同僚との付き合いは非常に大きな意味を持っています。

   

清潔と整理

自分の身の周りは、清潔に保たれて、整理がされているでしょうか。

スピリチュアルコーチングにおいて、自分の周りの環境は心の中を映し出すと言われています。自分の部屋はほとんど毎日生活する場所なので、汚れているということに気が付きにくくなっています。

しかし、家具の裏や下にほこりがたまっていたり、クローゼットや戸棚が汚れているということも珍しくありません。部屋にほこりがたまっているということは、心の中にもほこりがたまっている状態です。

心にあるほこりは、すべてを理由づけして分析し、理解をしようとする左脳的な知性が原因となっているそうです。つまり、自分が傲慢にふるまっている可能性が高いと言えます。自分が正しいと思い、自分の考えを人に押し付けている状態です。ほこりがある部屋は、不調和な状態です。

自分自身が他人に対して不調和な状態になっているというメッセージと言えるでしょう。部屋にほこりがなく、清潔だと言う人もいるかもしれません。

しかし、清潔であっても整理はされているでしょうか。清潔な状態であっても、整理がされていないという状態も有り得ます。

物があるべきところにない、もしくは自分で把握ができていないという状態です。このときも、自分の心の中が整理されていないと言えるそうです。人生で何をしたいのかが分からず、決断を下せないでいる状態、あるいはすぐに行動に移せていない状態が多いと言われています。

整理整頓がされていないと、何か探し物をするときにエネルギーを浪費してしまいます。良い場所にいくためにエネルギーを使っているわけではなく、単純にひとつの場所からもうひとつの場所にいくためにエネルギーを無駄にしているのです。

  

家の内外と自分の印象

家の掃除をするとき、何を重視して片付けを行うかは人によって違います。

目につきやすい部分を好んで掃除する人もいれば、目につきにくい細かい部分を中心に行う人もいます。家の外側からか内側からかも変わってきます。誰かが家に遊びに来たとき、外からの印象と実際に中に入ってきたときはどうなるでしょうか。もしも外よりも家の中の方が悪い印象を与えるということであれば、内面よりも外面ばかりを気にするタイプと言えます。

つまり、自分の個性よりもペルソナを重んじている状態です。ペルソナとは、自分がかぶっている社会的な仮面と言われています。他人は、まずこの仮面を見て人を判断します。個性は、その人と親しく付き合うことによって、感じ取ってもらえる部分です。大切なのは、この個性の部分です。

人生を統御するために、人は何よりも個性を優先して考えていかなければなりません。ペルソナは、両親や家族、小さな頃に受けた影響によって形作られていきます。簡単に言うと、「人に気に入られようと思ってつくった仮面」こそがペルソナです。多くの人は、他人に気に入ってもらうために、周囲の期待に合わせて考え、行動をします。

拒絶をされず、愛されるための行動とも言えるでしょう。

内面を探求し、自分が本当に大切なものは何かを考えると、自分の個性とのコンタクトが生じてきます。ペルソナをかぶらない自分は何者で、何を必要としてくるのかがはっきりするのです。自分の個性に気がつくほど、自分の才能を伸ばして、内面を明るくすることが可能になります。

自分の内側が明るく整理された状態になれば、自然と自分の家の環境も変わってくるでしょう。家の印象が内外で違うと感じたときには、自分の心に意識を向けてみるべきです。